市博物館に甦る支倉常長”奮闘の軌跡”

慶長18年(1613)伊達政宗によって欧州に派遣された支倉常長は,交易交渉に失敗し失意のうちに没しましたが、いま国宝として市博物館に納められている数々の遺品から、彼の”奮闘の軌跡”を偲ぶことができます。(MAK)

使節派遣の目的はメキシコとの直接交易であったといわれます。
当時メキシコはスペイン領であったため、常長一行の旅は太平洋を横断してメキシコに寄り、さらに大西洋を渡ってスペイン、ロ-マに向かう地球半周の大壮途でした。

伊達藩の使節ではありますが、徳川幕府の内意を受けての派遣でもあったといいます。地元で建造されたガレオン船「サン・ファン・バウティスタ号」に使節団、関係者、幕府役人、商人、キリシタンなど180人が乗船して、牡鹿半島月の浦を出航しました。


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スペイン入りした常長は、交渉の進展を図るために国王フェリペ三世ら立会いのもとに洗礼を受けてキリスト教に改宗、国王の名を冠した「フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン」を名乗ります。

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国宝「支倉常長像」(麻布、油彩=作者不詳)

この肖像画は現地の画家によるものと見られ、常長帰国後、支倉家が所蔵していました。
(以下、常長が持ち帰った品々はすべて支倉家がキリシタン連座で改易された折、藩に没収されたといいます。)

常長は8ヶ月もの間マドリードに滞在して国王に交易許可を求めますが、この頃日本国内で始まったキリスト教弾圧の情報が王に伝わったため、芳しい返事を得ることが出来ず、パウロ五世教皇への政宗公親書2通(ラテン文、日本語文)を携えてローマに向かいます。

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国宝「ローマ教皇パウロ五世像」(麻布、油彩=作者不詳)

(パウロ五世宛ての政宗親書は、領内でのキリスト教布教推進と引き換えに交易交渉への仲介を願うもので、現在市博物館にその複製が展示されています。)


常長が持ち帰った司祭の典礼用上衣「祭服」

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国宝「祭服」(ビロード製)

わが国に伝来した「祭服」の中でも最も華麗なものといわれています。

ローマに入った常長一行は「奥州王伊達政宗の大使」として歓迎され、市議会から貴族に列するローマ市公民権を授与されています。

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国宝「ローマ市公民権証書」(1615年11月、支倉常長宛=羊皮紙)

常長の西欧滞在中、彼の銅版肖像画が出版されています。

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支倉常長像(銅版画、1615年=ラファエル・サドラー作)*参考図版

同一版のものが、現在パリ国立図書館にも2点所蔵されているそうです。


この時期、常長の”高潔な態度”(?)が各地で賞賛されたといわれています。
通訳として一行に付き添ったローマの歴史学者シピオーネ・アマチがその動向を克明に記した「伊達政宗遣使録」が1615年に出版され、続いてそのドイツ語訳が2年後に刊行されるなど、ヨーロッパの人たちの間で使節団が注目を集めていたことがうかがわれます。

こうした使節団の努力にもかかわらずスペイン国王の返書は遂に得られず、やがてはマドリード留まることも許されなくなって、何の成果もないまま一行は追われるように帰国の途につきます。

さらにマニラで2年間足止めをされた後、常長はほぼ7年の歳月を経て元和6年(1620)に帰藩しますが、その折、藩主からどんな沙汰が下されたのか記録は一切残されていません。

常長は帰国2年後、52歳で病没し、支倉家は寛永17年(1640)キリシタン連座の罪で一時改易となっています。
常長出航の後に行われた徳川幕府の政策転換(キリスト教禁制)が、ひたすら交易交渉の推進を図った常長とその家族の人生を大きく狂わせてしまったことは明らかです。

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国宝「十字架像」(キリスト像銅製、十字架木製)

キリスト像の両手首と片方の足首が失われ、十字架も4片に分断されて、当時の禁制の厳しさを物語っています。

藩に没収されていた常長遺品の多くは、明治初年県に移管され、その後仙台市が入手。所蔵家などから買い集めたものも加えて、平成13年「慶長遣欧使節関係資料」として国宝指定を受けました。


使節団が渡航に使用した木造帆船サン・ファン・バウティスタ号と同型のガレオン船が(財)慶長遣欧使節船協会によって復元され、石巻市渡波のサン・ファン・ミュージァムに展示されています。

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写真は(財)慶長遣欧使節船協会提供

サン・ファン館HP:サン・ファン館


支倉家はもともと中世から伊達家に使えた、藩では中堅クラスの家柄であったといいます。
藩主の期待を担った船出が宗教政策の大波を受けて暗転し、まさに”悲劇の人”となった支倉六衛門常長ですが、その勇気と真摯な努力はわが郷土の誇りといってもいいのではないでしょうかー。
いま国宝として甦った彼の”奮闘の軌跡”を、私たちはいつまでも大切に見守っていきたいと思います。

<注>掲載した遣欧使節団関連の地図、写真及び記事素材は、仙台市博物館編集・発行の「国宝・慶長遣欧使節関係資料」より引用させていただきました。

仙台市博物館:仙台市青葉区川内26 TEL022-225-0814

HP:仙台市博物館

仙台銘菓:ふじや千舟「支倉焼」
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コメント (8)

ベガルタ愛媛:

慶長使節船の出発地はなぜ月の浦だったのですか?
サンファンバウティスタ号は長旅に耐えるためにどのような工夫がなされていたのですか?
大航海の偉業が黙殺された理由は何ですか?
全部でなくても結構です
少しでも情報があったら教えて下さい

Posted by: ベガルタ愛媛 | 2008年07月05日 22:34

ベガルタ愛媛:

慶長使節船の出発地はなぜ月の浦だったのですか?
サンファンバウティスタ号は長旅に耐えるためにどのような工夫がなされていたのですか?
大航海の偉業が黙殺された理由は何ですか?
全部でなくても結構です
少しでも情報があったら教えて下さい

Posted by: ベガルタ愛媛 | 2008年07月05日 22:34

A.A:

伊達公のヨーロッパ派遣使節というのは、一般にあまり知られていないけど、当時の大名はみな外国貿易に関心を持っていたと思う。
幕府はそれを警戒していたはずだが、常長一行に幕府役人も加わったというのはどういうことだろうかー。
7年間もの長い間、一行が大使としての体面を保てたとすれば、政宗公はよほどの大金を彼らに持たせたのだろうかー。
いろいろ興味は尽きないが、帰ったときには”逆臣キリシタン”となってしまった常長という人の人生は、実に気の毒なものだったね。

Posted by: A.A | 2007年02月15日 15:26

MAK:

いろいろコメントをありがとうございました。
あまり世に知られていない支倉常長を軽く紹介するつもりでしたが、博物館の学芸員の方にいろいろとご指導を受けてすっかり緊張してしまいました。

政宗公はキリスト教布教を餌に外国と交易をしようと考えただけのようですが、派遣された常長は間に入った宣教師たちの争いや、出発後の幕府の政策転換(キリシタン弾圧)に翻弄されて”悲劇の人”として一生を終えています。

死後三百九十年たったいま、やっと遺品が国宝認定を受け名誉を回復されたわけですが、少なくも彼の”不屈の精神”は、次世代を担う若い方々にもぜひ学んで欲しいと思っています。

Posted by: MAK | 2007年02月12日 13:04

(中):

レポート拝見。
貴地で演じられた悲劇「慶長遣欧使節」は、伊達政宗公のプロデュース、支倉常長主演であったことが良くわかりました。
歴史上では我が郷里の「天正少年使節」の方が有名ですが、キリスト教にからむドラスチックな筋立てはそちらが勝っているかも知れません。
いずれにしても甘やかされて育つ現代っ子たちに、先達の意気と苦労をもっと知ってほしいと思いませんか。

Posted by: (中) | 2007年02月10日 07:23

nana:

支倉常長の本がイタリアやドイツで出版されていたなんて始めて知りました。ロ-マで貴族待遇をうけたり、ずいぶん人気があったようですね。
それに引き換え帰国後は余りにも惨めですが、キリシタン禁制のために伊達藩もかばうことが出来なかったのでしょう。
波乱の人生がいま認められて、でも、よかったですね。

Posted by: nana | 2007年02月09日 20:53

近藤:

MAKさん、相変わらず頑張っていますね。
久し振りにシニアカフェを開いて、「博物館の記事」読みましたよ。

仙台藩が日本で初の外交使節団を送ったというのも、支倉常長という人のことも、実は初耳だったけど、このレポートで良くわかりました。大藩の面目躍如というところかな。

それにしても常長さんの人生は、なにやら現代サラリーマンの
悲哀にも通じるものがありそうな気がします。

Posted by: 近藤 | 2007年02月09日 16:27

R.M:

力作の「点描」拝見しました。
何気なく見過ごしてきた博物館の”支倉コーナー”ですが、常長さんの逞しさ、粘り強さに改めて感心しました。
不遇な人生ではあったけど、いま持参の品々が国宝に指定され、ご自身の事跡にも光が当てられて、さぞかし満足されていることでしょう。

Posted by: R.M | 2007年02月09日 13:09

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