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仙台文学館の「企画展」をチェックしましょう
仙台文学館のホームペイジは時々チエックする必要がありますね。
かつて心酔した「芥川龍之介の没後80周年記念展」が、4月下旬から開かれていると聞いて早速飛んで行きました。(MAK)
●国道4号線に直結するアスファルト舗装のアプローチを登って行くと、木々の緑のなかに姿をみせる一見倉庫のような白い建物ー。
台原森林公園に続く丘陵地にひそり溶け込む仙台文学館のたたずまいには、虚飾を離れた清閑の美しさがあります。


●残念ながら地元出身作家の層が薄いこともあって、常設展は少々”目玉不足”(失礼!)のようにも見えるのですが、時折催される企画展は実に素晴らしいものが多いのです。
●今回の「龍之介展」は、まさに夭折の天才を偲ぶにふさわしく、故人の生い立ち、生きざまが年を追って詳細に回顧され、展示されていました。


東京府立三中に入学した龍之介とその書。
●略歴を見ると、龍之介は府立三中を二番で卒業、成績優秀のため無試験で第一高等学校文学科に入り、同校もまた二番の好成績で卒業し、東京帝大英吉利文学科に入学しています。
さらに、10歳の頃から回覧雑誌の創刊に関わり、22歳で処女作小説「老年」を発表、25歳の時にはすでに短編集「羅生門」を発刊したとあります。
●龍之介が文藝春秋(巻頭言)に連載した「侏儒の言葉」のなかに
”人生はマッチに似ている”(後略)という有名な一文がありますが、あまりにも早く光り輝いたためわずか35歳で燃え尽きてしまった彼自身の”凝縮の人生”の、はかなさと峻烈さが、私たち展示を見る者の胸を強く打ちます。

「侏儒の言葉」(単行本発刊:昭和12年12月)。
始めは意味が飲み込めなかった言葉もずいぶんありました。
●大正10年、29歳の頃から龍之介は健康不安に悩み始めます。
その前兆を予知したかのように前の年あたりから墨で痩せた「河童」の絵をしきりに描いています。


なんとなく”不安”さを感じさせるような暗い絵ですね。
●略史には大正9年の夏、宮城県の青根温泉(旅館名不詳)に避暑を兼ねて滞在し小説を書いたとあります。
評論家の中にはこの頃(28歳)を彼の絶頂期とする人もありますが、10歳の年に狂死した母の遺伝を恐れる心が肋膜炎、胃潰瘍、不眠症、神経衰弱などの体調不良と結びついて次第に人生を暗くしていった様子が伺えます。
●展示品の中には愛用の文机や火鉢、浴衣などの日用品もありました。どれも売れっ子作家のものとはとても思えない質素なものでした。

文夫人との結婚祝い金で購入したという小さな文机。

執筆の際、手あぶりに使われていた箱火鉢。

上海で購入した布地のお気に入りの浴衣。
●いまも文壇の登竜門として輝く「芥川賞」は、親交の深かった一高の同級生菊池寛(文藝春秋社主)によって龍之介の死後、新人文学賞として設けられたといいます。
俳優として有名な長男芥川比呂志は菊池寛の「寛」から、また作曲家として有名な三男の也寸志は同じく一高旧友(一番で卒業)の恒藤恭の「恭」から、それぞれ名前をもらって命名したのだそうです。
●”切り裂く”ような鋭い観察と文章が印象に残る芥川作品ですが、一方では、子供向けの雑誌「赤い鳥」に寄せられた「蜘蛛の糸」や「杜子春」のような教え導くやさしい物語も幾つかありましたね。
子供たちの名前を親友からもらっていたと知って、なにやらホッとした気持ちになりました。
●この記念展は7月1日(日)まで続けられているそうです。
お時間があったら一度ご覧になってはいかがでしょう。
●谷の部分につくられた文学館の1階裏庭は、いままさに新緑の美しい季節です。

●無料駐車場も入り口近くの林間に広く設けられていますよ。

<注>仙台文学館では展示品の撮影は禁じられております。今回は市の施設、行事をNET上で紹介する目的のために特別の許可をいただきました。
ホームペイジ:「仙台文学館」
2007年05月07日 10:52 | パーマリンク |TOPページへ ▲上へ
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コメント (7)
仙台文学館は、身近にあるのについ忘れてしまう存在。
なぜだろう。図書館でも併設されていればもっと頻繁に行くのかも知れない。
館内に軽食コーナーはあるけど、ゆっくり本を読めるスペースがが欲しいね。
芥川龍之介の作品などすっかり縁遠くなっているので、この機会に「侏儒の言葉」でも読み返してみたかった。
Posted by: 秋人 | 2007年05月12日 17:52
日時: : 2007年05月12日 17:52
龍之介が息を引き取ったとき、文夫人が洩らしたという「おとうさん、よかったですね。」という言葉が胸を突きました。
年表によれば文さんは当時27歳、長男比呂志7歳、次男多加志5歳、三男也寸志が2歳です。
苦悩する天才の最後を看取り、残された幼い子供たちを立派に育てあげた文さんの人生は一体どんなだったのでしょう。
安らかな老後を過されたのでしょうかー。
Posted by: 篠 | 2007年05月10日 12:44
日時: : 2007年05月10日 12:44
「芥川展」見てきました。
幼少にして秀才、長じて鬼才。あまりにも優れた才能の末路は哀れでしたが、しかし、いまもその作品は世界中で翻訳出版され、生き続けています。
最近の文壇は「直木賞」出が多く、純文学の「芥川賞」では飯が食えないなどという話も聞きますが、先行き不安の現代を一刀両断するような鋭い作品も世に出て欲しいですね。
戦後、学区制を敷いたり、ゆとり教育などと寝ぼけたこといってきた教育行政を改めて、双葉のうちから英才同士を競わせる特別な育成コースもぜひ復活させたいと思います。
Posted by: 吾朗 | 2007年05月09日 15:11
日時: : 2007年05月09日 15:11
A君 退任挨拶状の中身を覚えていたとは、恐れ入りました。
もちろん当初はセロ引きゴーシュが”インドの虎狩”を引くような勢いで読書にはまったのだけど、これでは”引きこもり”になってしまうと気付いて間口を広げた次第です。
晴耕雨読なみにゴルフ、旅、ボケ防止のコンピューターを交えて、本命の本もしっかり読むというわけ。
残念ながら年のせいか最近は芥川龍之介のような深刻型の作品にはなかなか手が伸びず、藤沢周平や宮城谷昌光、宮部みゆきなど、比較的楽なものを片っ端から読んでいます。
濫読性”本の虫”はまだ健在ですから、どうぞご心配なく。
Posted by: MAK | 2007年05月08日 20:14
日時: : 2007年05月08日 20:14
芥川賞は毎年話題になるけど、賞の由来となっている芥川龍之介自身の作品はとうに忘れられてしまっているような気がする。
この機会に、現代の若い人たちにもあの鋭い人間分析の筆致を一度味わってもらいたい。もちろん、平和ボケしてしまっているわれわれも読み直してみる必要があると思う。
仙台文学館は一度行っただけで、その後すっかりご無沙汰。
確かに企画展は要チエックだね。
Posted by: R.M | 2007年05月08日 09:22
日時: : 2007年05月08日 09:22
芥川龍之介が死んでもう80年にもなるんだね。
記念展は多分東京でもやったと思うけど、気がつかなかった。
緑に包まれた文学館なんて、いかにも青葉の街仙台らしい。
そういえば君の退任挨拶状にたしか「今後は読書三昧」みたいなことが書いてあったけど、HPを見た限りではまるで違うような気がする。
文学館に飛んでいったのは、忘れていた情熱に火が付いたということなのかなー。
Posted by: A.A | 2007年05月07日 21:53
日時: : 2007年05月07日 21:53
芥川龍之介とは懐かしい。
若い頃の濫読で何を読んだかすっかり忘れてしまったけど、黒澤明の名作「羅生門」の原作になった「藪の中」はよく覚えている。人間のエゴを抉る怖い作品だった。
若くしての自殺は三島由紀夫と共通するが、作風も思考もまったく別世界の人だね。
「胃弱」や「不眠症」が持病なら、これは彼の師でもある漱石とまったく同じ。
大正人の暮らしはいまの感覚では理解し難いところがある。
Posted by: 呉山人 | 2007年05月07日 19:35
日時: : 2007年05月07日 19:35