「ポツダム」(駆け足ドイツー2)

1718年、プロイセン王フリードリッヒ2世によって建てられた夏の離宮サンスーシ宮殿のある「ポツダム」は、わが国にとって忘れることの出来ない「ポツダム宣言」が発せられた場所でもあります。

cafe730.jpg
「サンスーシ宮殿」の外壁を飾るレリーフにはワインを飲んで酔った男女の大胆な姿態がたくさん刻まれています。
王はワインの原料となるブドウの木を愛し、庭園内にブドウ畑を作らせたり、宮殿を”ブドウの丘”と呼んだりしていたと伝えられています。


cafe731.jpg
いまの広大な庭園は、後日国威発揚のための宮殿拡張工事が行われたとき、フランスのヴェルサイユ宮殿をお手本につくられたものだといいます。


cafe732.jpg
わが国に無条件降伏を求める「ポツダム宣言」が協議されたツェツィーリエンホーフ宮殿の中庭。
正面に見える一角が、会議場や各国首脳一行の控え室、休憩室などに使われました。
このこじんまりとした英国風の宮殿は、1917年、当時の皇太子ヴィルヘルム2世の住まいとしてつくられたものです。


cafe733.jpg
廊下の壁に掲げられている首脳会談関連の記事と写真。
右上の1コマ、左から順に英国(チャーチル)、米国(ルーズベルト)、ソ連(スターリン)の三首脳が握手をして並んでいます。
会談継続中、米国のルーズベルト大統領が死去してトルーマン大統領に、英国のチャーチル首相が選挙に敗れてアトリー首相に交代する前の貴重な映像です。
(この写真を撮った直後に撮影禁止を告げられ、残念ながら以後邸内の模様は一切写すことができませんでした。)

cafe734.jpg現地ガイドを務めてくれたペトラさんは名門フンボルト大学アジア語学科で日本語を専攻したという才媛。
見事な標準語で会談の模様を情熱込めて詳しく語ってくれました。
折衝が大詰めに入っていたとき、トルーマン大統領に原子爆弾開発成功の報がもたらされ、大統領は即座に日本への投下を指示したといいます。まさに日本の命運を決めた一瞬でした。


cafe735.jpg
美しい森と湖に囲まれたこの館は、いま首脳会談に使われた部分を除いて大部分がホテルとして利用されているそうです。


2007年10月15日 09:03 | パーマリンク |TOPページへ   ▲上へ

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://app-sendai.sakura.ne.jp/app/mt-tb.cgi/137

コメント (2)

秋人:

力作のドイツ旅行レポートをじっくり見させてもらいました。
まさに目まぐるしい旅のようだったけど、天候と体調に恵まれ十分に楽めたようで何よりです。
それにしても、サンスーシ宮殿外壁の男女のレリーフはなんだか猥褻で品が悪いね。
昔の王様というのは、なんでも好き勝手にやっていたということなのかな?。(もしかしたら誰かモデルがあったりしてー。)
知性派ガイドのペトラ女史は、一体なんと説明したのだろう。
一方ポツダム会談のくだりは、あの辛かった戦争をまざまざと思い出させるものがあって、胸が詰まってしまう。
戦後60年、平和の時代に生きられるわれわれは幸せだと思う。

Posted by: 秋人 | 2007年10月21日 16:18

吾朗:

日本への原爆投下がポツダム会談の場で決意されたとは知らなかった。
日本の降伏を早めることもさることながら、トルーマンとしては開発に成功した原爆の威力を世界に公表してアメリカの力を示したかったのだろうね。
広島、長崎はその犠牲になったようなものだ。
当時日本はすでに全面降伏を受け入れざるを得ない状況にあったはずだからー。
でも、その後のソ連の参戦は一体何のためだったのかと思う。

Posted by: 吾朗 | 2007年10月15日 15:28

コメントを投稿